これは、あふみの一団員である「しーちゃん」による『おんがく雑記帳』です。
1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2006年 2007年
 
2005年目次
 
 まいさんin大垣      2005. 1. 9
 気持ちよく歌おうよ    2005.  1.16
 雪の二日間        2005. 1.28
 激震の後で        2005. 1.29
 飛びゆく音         2005. 2. 1
 狂言にりょうぜらるによって2005. 2. 7  

  贅沢な時間        2005. 2.10
 全国区          2005. 2.22
 曲にはエネルギーが  2005. 3.19
 身につける        2005. 3.26
 なぞのコウモリ     2005. 6. 3 
 発声を修正する    2005. 6.16
 これはジャズのノリか 2005. 6.25

 捨てる神あれば拾う神あり 2005.  8.11
 
わたしのダイナ      2005. 9.25
 子どもたちに自治はあるか?2005.10.1
 アンサンブルの愉しみ     2005.10.1
 カラオケやっちゃった     2005.10.30
 好きなことをしてるだけ    2005.11.24
 電気屋のおばちゃん     2005.12. 3
  ことだま             2005.12.29                
   ことだま

                                                    2005.12.29(木)

 思いがけない大雪での除雪、たまりにたまった仕事、そして年末の処理(”大掃除”ともいふ)、天皇杯の準決勝セレッソ惜敗。これで心おきなく今年のまとめができる。

 「ことだま」というのを信じている人はいるだろうか。

 「言霊」と書く。ことばには不思議な力がある、ということらしい。言祝ぐことばは喜びを、呪いのことばは悲しみを呼ぶ。そして、どうやらこれは本当だと、わたしは思っている。

 雪で始まり、激震の後、新たな出会いがあった今年のあふみ。原点となるクリスマスコンサートへの回帰を誓った。

 あふみのクリスマスコンサートは、何もかも手作りである。椅子を並べる、ステージを組み飾り付ける、進行はもちろん、録音・録画、プログラムやチラシの印刷…ついでにスタッフも限りなく家族。

 そんな中で《EST》スコラーズさんとの共演は、あふみにとって今までない形だけに、戸惑いや焦りがあったのも事実。でも、それ以上に、さまざまな意味があった。

 指揮者がいることは、音楽を創り上げるという作業の中ではとても強力な要素である。あふみには指揮者がない。だから迷走する。でも、私たちがやってきたことは、間違っていなかったと思う。迷走した時間、お茶して話し合った時間は嘘をつかない。

 そして、指揮者がいないからこそ、ひとりひとりが音楽に対する真摯な思いを持たねばならないとも思う。

 もう一つ。ずっと考え続けていれば、道は開けるということも。

 ヴォイストレーニングを受けたものの今ひとつすっきりしない思いでいた。合同曲の練習で《EST》スコラーズのメンバーと隣り合わせになったときも、最初は、全く違う響きに戸惑っていた。二度目の合同練習の後、aganoさんの「aの母音が開きすぎてるかも…」という一言で、突然わかった。軟口蓋を薄く通っていくという声の道。「…これかもしれない。」と。

 ヴォイストレーニング、二つの大きな共演、お寺でミサを歌うという暖かい出会い。そして原点のクリスマスコンサート。あきらめない、ここで踏みとどまる…ぎりぎりのところで自分に言い聞かせ続けた言葉である。そのことだまこそが、この縁をつないでくれた。

 来年も元気なあふみでいきたいと思う。あふみ日記もよろしくお願いします。

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電気屋のおばちゃん

2005.12.3(土)

 先週、ESTスコラーズとの合同練習のために津へ行った。バーバラちゃんに練習の録音を頼まれていたので、MDを持って行った。ディスクを切らしていたので、どこかのコンビニで買おう、と軽く考えていたのがことの発端。

 入ったコンビニには、MDらしきものはなかった。店の人に聞いても、「ないみたいですね…」という返事が返ってくるだけ。仕方なく、そのコンビニではオキシデントの乾電池と飲み物を買った。次の店でも見あたらない。結局、津市内に入ってから練習場所を通り過ぎて売ってそうな店を探す羽目に。その通りは商店街で、専門店がずらりと軒を並べている。

「文房具屋にあるんちゃうか?」

と言って車を止めようとする運転手(髪々の黄昏)。あるわけないやん!しらゆきさんと二人で、ブーイング。下りて買うのは運転手じゃないからね。

 やっと見つけた小さな電気屋さんに駆け込んだ。出てきたのは年配のおばさん。すがる思いで話しかける。

「こんにちは〜MDのディスク、欲しいんですけど…」

「MD?ええと…MDねぇ…」

 おばさんは、店の入り口にあった、埃をうっすらと被った棚に戸惑いながら手を伸ばす。テープと、DVDと…ななな、なぬ?MDは??・・・んん?これかな?奥の方に10本組で隠れてるものがある。でも随分ケースが分厚いなあ。

「これだと思うんですが…」

 わたしが自信なさげに問うと、おばさんは、

「これ、MDてすよね〜??」

と、わたし以上に自信なさげに、あろうことかわたしにお尋ねになる。

わたし  「recordableMDって書いてありますから、そうだと思いますよ〜。」

「そうだよねぇ…これ、いくらかなあ。値札貼ってないねぇ。いくらだろう…ごめんねぇ、こういうの疎くてねぇ…安かったら、10本まとめて買いますか?」

「は…はい。お願いします。」

 おばさんは携帯を取りだして、誰かに電話をかけ、値段を尋ねた。聞かれた相手もわからないらしい。電話の向こうで、カタログを取り出して型番を確かめている。やがて、おもむろに電話を切ったおばさん、

「1000いくらて言うてるけど、1000円でいいわ。」

と満面の笑みを浮かべた。

 かくして、無事に手に入れた10本ものMDを持って(使ったのは結局3枚)練習会場に向かった。得をしたのか、しなかったのかはわからないけど、おばさんとのほのほのした会話に、なごんでしまったよ。

 しかし、おばさんの名誉のために付け加えておく。話の途中でやってきた少年には、電話をかけながらずばっと電球を渡していた。MDには疎いかもしれないが、電球には、プロであった。

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   好きなことをしてるだけ

2005.11.24(木)

  19日、ダブルヘッダーの演奏会が終了。朝から時雨の寒い中、そして恵比須講の忙しい中おいでくださったみなさま、本当にありがとうございました。わたしは少し前にひいた風邪の影響がまだ喉に残っていて、いい状態ではありませんでした。ベストの状態で本番に臨むことって本当に難しい。

  夏川記念会館では、リュートやリコーダーとの共演が実現した。リュートひきのこぶたさんが縁の糸をつないでくださったおかげだと、心の底からそう思う。歌と楽器の双方からルネサンスの音楽にアプローチする試みは、午後のティタイムのような豊かなときを与えてくれた。う〜ん、優雅…。

  夜はお寺の本堂で歌わせていただいた。小学生からお年寄りまで、後で聞いたら檀家さんじゃない方まで集まっていてくださった。

  翌日、とんちんかんの息子の方が、

 「おかあさん〜昨日のお刺身、おいしかったね〜。」

 と、しみじみ言った。

 「ホントやね〜。」

 と答えてから、わたしもしみじみしてしまった。

  お寺でいただいた、お弁当のことを言っているらしい。家では絶対注文しないようなごちそうとおやつとお下がりとおいしいアップルティーをいただき、ご本尊さまにおしりを向けて歌った上に、

「また来てくださいね。」

と笑顔で送っていただいたのである。歌のできはともかく、気持ちよく一日を終えられた。

  わたしたちは、好きなことをしてるだけ。

  なのに、こんなに豊かで暖かいときをすごせるなんて、こんな幸せなことはない。良き縁と、それを結んでくださった数々の方々に、心より感謝したい。だからこそ、いい加減な気持ちでステージに立ちたくない。

  咳き込みながらカメラマンをしてくれた上の息子と、受付をしてくれた下の息子にも、ありがとう。お礼は何にもないけどね。

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   カラオケやっちゃった

                                                    2005.10.30(日)

  カラオケ、やっちゃいました。

  ただのカラオケじゃありません。担当する学級の子25人で、まず合奏(オケまでいかないけど)を録音し、それを流しながら歌って録音する、というやつです。

  始めはどうなるかと思いました。最初に合わせた日、ぶおお〜となる雅楽の響きに目が点になったのは、私だけではなく、子どもたちもかなり危機感を持ったみたいです。それで、必死に自主練習をしていました。

  数度の「オケ合わせ」の後、テイク3でとりあえずOK。翌日、それに重ねて歌を入れます。もともと歌声は良い子たちですので、こちらはあまり苦労しませんでした。とはいっても、テイク3でやっと伸びやかな声に。

  息詰まるような緊張感で録音を聴き終えた子どもたち。思わず拍手が湧きます。

 「最初は難しい、と思ったけど、やればできるんだ。」

 「初めは、自分の音しか聞こえてなかった。でも、だんだん友達の音も聴けるようになった。」

 「わたしらってなかなかやるやん、と思った。」

 「CDにして売りたい。」…それはちっと難しいかも(^_^;)

  とにかく、満足感でいっぱいの子どもたちです。うふふ。わたしは次なる企みを…

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  アンサンブルの愉しみ

2005.10.1(土)  

 

 今日は、夏川記念館でご一緒するSさんが、練習に来られた。

 Sさんとは、雪の天究館の後、リュートひきのこぶたさんのおかげで、交流が始まった。

 このリュートという楽器、実に繊細で、洗練された優しい音色である。Sさんの話では、琵琶なども同系の楽器になるそうだ。夏川記念会館のコンサートでは、パート1名のフルコーラスとリュート、というアンサンブルで、ダウランドを演奏することになっている。また、バーバラちゃんは、Sさんのリュートでソロを聴かせてくれる。

 エイゴは難しいが、(特に「し」と「シ」と「スィ〜」(^_^;))音楽の愉しみ方は、ものすごく贅沢。う〜ん、シアワセっす(*^-^*)

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   子どもたちに自治はあるか?

2005.9.30

  職場で、「グローブを持ってきている子がいるが、グランドを占領することになるし、固いボールでキャッチボールすると危険だから、禁止してはどうか。」という話題が出た。

 持ってきていたのは、私の担当する学年の子どもたち。

 グランドは決して広いとは言えないし(100メートルが直線でとれない)、使用割り当てがあるわけではないので、サッカーやキックベース、鬼ごっこなどの遊びが交錯し、大きい子も小さい子も入り交じって遊んでいる。特にサッカーは、一つの場所を何チームもが使う。意図せぬ接触や妨害は日常茶飯事である。 

「キャッチボール禁止という話がある。」

と切り出すと、なぜ?と問い返してきた。こちらからは、上のような点について問題があることを伝えた。

 1時間、子どもたちと話し合った。キャッチボールをする子にも、しない子にも意見を聞いた。そして、彼らは、

「場所を占領するのはサッカーの方だ。危険を避けるために、人の多い時間帯はキャッチボールをしないし、場所やボールを投げる向きも考える。だから認めてよいのでは。」

と、学級の意見をまとめた。わたしは、彼らの意見を文章にして提出した。

 「危険だから、禁止」…そう簡単に結論づけていいのだろうか?彼らから、判断する力を奪っていないだろうか?

 子どもたちに、自治はあるか?

 今日はずっと考えている。

 

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わたしのダイナ


2005. 9.25(土)


 わたしのパソコンは、ダイナブックSS。CDやフロッピーは外付けだが、メモリースティックで動作する環境な
ので薄・軽なのが気に入っている。日本語入力で使い込んでいるキーは、すり減ってつるつるしているくらいだ。
 

 ところが、職場で仕事をして持ち帰った8月のある日、ダイナは突然立ち上がれなくなってしまった(T_T)
 

 どうにも仕方なく、泣く泣くドック入りさせた。その間は息子のパソコン、デルくんを借りる。ところが、デルく
ん、仕事に使えるソフトは何も入ってない!!急いでワープロソフトと表計算ソフトをインストールしたが、メール
は見られないし、キーボードの感覚が違うのでミスタッチが多くなるしで、いらいらしっぱなし。
 

 待つこと約1ヶ月。ようやく退院したのが先週。どきどきしながら立ち上げる。ウィンドウズの立ち上がる音楽が 流れる。んん?そんな設定してないぞ。それに、この見慣れぬアイコン。
 

 これは、初期画面ではないか!
 

 …そう、わたしのダイナは、脳移植により「ここはどこ?わたしは誰?」状態になって帰宅したのだった。
 

 現在、失われた記憶を戻すリハビリ中。嗚呼、ダイナよ。水に流しても良い過去もあったのだが、忘れちゃいけな い過去も、確かに君にはあったのだよ。


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 捨てる神あれば拾う神あり


2005. 8.11(木)


 この諺が、これほど真実味を持ったことがあっただろうか。
 7月、待望のテナー、こりんちゃんが見学に。8月6日に行われた「しが・ヴォーカル・アンサンブル・コンテスト」のステージに立ってくれた。
 
 あふみの演奏自体は、出来が良かった訳ではない。(わたしだけ?)
 しがのアンコンでは、審査後に講評が審査員から直接聞ける。しかも、メンバーが審査員を取り囲むようにして、話を聞く。わたしたちのねらいは、講評なのだ。
 審査員の一人、T先生は、喉につく発声が気にかかることや、マドリガルにしては重い、という課題を指摘された。Eccoが宗教曲に聞こえたと。
 何という的確な。痒いところに手が届いた。納得。もっと話を聞きたかった。できるなら、その場でもう一回歌って、指導受けたかった。
 
  課題は多かった。それでも、わたしたちには悲壮感がなかった。
 この何年か、あふみの活動は順風満帆ではなかった。発声も考え方もぱらばらのまま、何とか繕って活動していたような気がする。今年、課題の発声に手をつけてから、「ようやく一歩踏み出したね。」と思えるようになった。
 そこに、こりんちゃん登場!しかも、若っっ!
 打ち上げ兼歓迎会では、こりんちゃんをだしに盛り上がる。
 のんきーちゃん、ひとまわり干支が違うことにショックを受けている。「願わくばベースがあと一人…」とは、もっさん。「声変わりしたら一緒に歌おう。」と誘われて弱った顔の我が息子。一風変わったネーミングのノンアルコール飲料に魅了され、「ハニーバターブレッド」に驚愕しつつ、満腹を抱えて再来週の練習を約す。
 
 拾ってくださったかみさま。ありがとうございます。明るい気分で秋冬に向かうことができそうです。

 
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 これはジャズのノリか!


                 2005. 6. 25(土) 


 「和太鼓ふくろうず」でも新曲の練習に入った。「きざし」という曲である。
 

 まだ第一のテーマだけだが、これがまた、すごいことになっている。バリバリシンコペーション、後打ち連続。今までのように振りかぶって「め〜ん!!」って具合に打ち込んでいると、とてもじゃないけど間に合わないテンポ感とノリなのである。あふみで言うなら、「村の鍛冶屋」の後で「Lupin The 3rd」を歌うみたいな感じかな。
 

  一昨日、アクセントをつける音の前で腕を上げて準備する、と教えてもらって、ようやく曲のノリがはっきりしてきた。
 

  おお〜っこれは、ジャスのノリかっ!和太鼓なのに、新鮮なリズム。
 

  だが!頭が混乱し、悪戦苦闘する大人たち。それに比べて、子どもらはどうだ。気持ちよくたたいている。この勝負、ちょっと子どもの勝ちみたい…(^_^;)


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 発声を修正する


                 2005. 6. 16(木)   


  
過去の日記を読み返してみて、気付いたことがある。それは、4月〜5月の日記が、ほとんどないこと。年の初 めに「書くぞ!!」 と決意して書き出すが、年度が変わると、新しい人間関係やら事務やらで余裕がなくなるということらしい。斯くして今年も同じパターンに…(^_^;)
 

    でもって、昨年あたりから少し様相が違うのは、どうやら年の割には随分、体力作りに取り組んでいる傾向にあ るらしい、ということ。あふみの他に和太鼓、太極拳、時にはフラッグフットボールと、週によっては3回、大汗をか く。え?和太鼓も、太極拳も、そんなに汗をかかんでしょうって?ちっちっちっ。それは、違いますですよ。
 

  でもって、今年少し様相が違うのは、ばらばらだったメンバーの声質が、いい方向でそろってきていること。ひ やひやだった昨年の合唱祭とは格段に統一感が違う。aganoさんのヴォイトレが少しずつ効果を表してきている のかな。私自身は、軟口蓋のぷよぷよをぐいっと持ち上げる感覚で歌っているが、硬くてハモってない自分の声 を感じることが少なくなったような気がする。どうもその発声は中音域でうまくいくらしい。
 

  「ファルセットの場所がわかったら、どんなのでも歌えますよ〜」とは、aganoさんの言。高音から低音まで同じ 場所で歌うには、軟口蓋ぷよぷよと格闘する日々が続くだろう。    


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 謎のコウモリ


                 2005. 6. 3(金)   


  
夕方、自室に上がっていった上の息子が、
   「ぎゃあ〜こわいぃ〜助けて〜!!」

 と悲鳴を上げた。何かと思い、下の子と一緒に急いで階段を駆け上る。するとそこには小さなコウモリが。小さなツメをカーテンに引っかけて震えている。結局、悲鳴を上げた方の息子が、小さなふかふかの毛玉のようなのをつかんで、外に逃がした。


  そのとき、コウモリは、「きゅっきゅっ」と鳴いて、ごあいさつをしていったそうだ(^_^;)
 

  「シルバーウィング」という、コウモリが主人公の本を読んだばかりの息子たちには思わぬチャンス
 になったようだが、我が家には、完全室内飼いの猫がいるので、窓や網戸を開放することはない。い
 ったいあのコウモリは、どこから入り込んだのだろう…ちょっとミステリー。
 

  さて、「和太鼓ふくろうず」の方のHP立ち上げに時間がかかっていたのと、その「ふくろうず」の本番
 がいくつかあったのとで、しばらく更新できていなかった。その間も、あがのさんに受けたヴォイトレの
 録音を聴きまくった。まだ、聴くと歌うとでは大違い。試行錯誤の練習が続いている。少し、変わって
 きたかなあ…と思っていたときにこのコウモリ騒動。そうだ、このコウモリの超音波のように、前にと
 ぶ声を出せるといいな…って聞こえないか。 
 

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 身につける


                 2005. 3.26(土)   


  
上の子が中学生になる。先週の三連休は、部屋の間仕切りを入れるため、家の中の大掃除。出るわ出るわ、ずっとしまい込んでいた十数年分のモノ、もの、物…。いつか使うかも…と残すのがこの結果。十年以上前の指導案なんて、見ないよね〜自分の身に付いてないことは、紙を見たってできないことにかわりない。自分のレベルを上げることの方が大切だと考えて、思い切って処分。


  3月12日、もう一つの大イベントは、ヴォイストレーニング。今まで個人に任されていた発声を根本的に見直し、もっと統一感のある音色を目指そうということで、年明けから話が動き始めた。


  来ていただいたのは、あがのさん。3時間休憩無し、全員の声を聞いていただくというハードな要求に応えてくださった。キーワードは、「音を体から離す。」…でも、体の中で鳴る音を聴く習慣になっているから、本人にはそれがよくわからない。一方、周囲で聴いている者には、変わったことがはっきり聴き取れる。いかに自分の音を客観的に聴いてないかということ!


  次の練習では、バーバラちゃんに助言してもらいながら、1週間の間に薄れかけた発声の確認をした。わたしは、耳の後ろの骨を押さえ耳殻を前に倒す、という方法を教えてもらったら、劇的に聞こえ方が変わった。今までの奥に引っ込んだ発声は、骨が鳴る。音が体から離れると、押さえている掌が軽い。これを体に覚えさせるしか、レベルアップの方法は無い。


  まだ時間はかかる。でも、一歩踏み出せた、と思う。再々来週、またあがのさんに来てもらう。楽しみでしようがない。


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 曲にはエネルギーが


                 2005. 3.19(土)   


  3月というのは、わたしの業界にとっては、4月とともに超人的な忙しさになる季節である。今年、インフルエンザの流行にさらされながら病に倒れなかったのは、奇跡に近いかもしれない。ようやく一段落ついて、またパソコンに向かう余裕が出てきた。


  去る3月12日には、大イベントが2つもあった。


  一つは名古屋ビクトリアの第一回演奏会。


  練習終了後、夕焼け娘とともに車で名古屋に向かった。別便でもっさんとだっさんも急遽合流することに。
 

  ビクトリアのレクイエム、当間先生の腕が振り下ろされた途端、真っ直ぐな音が客席に届く。どのパートもよく整えられているが、特にペースはビロードのように滑らかで肌触りの良い上質な音色。


  祈祷天頌では、ビクトリアの時少し気になっていた、テナーの硬めの音色もうまくとけ込んで、その意味でも、曲の持つ強いエネルギーが感じられる。そうそう、音がはまっているだけじゃ音楽じゃないんだよね。曲の持つエネルギーが客席に伝わらなきゃ…そんな当たり前のことを、あらためて思わせる演奏。


  もっさんだっさんと遅い夕食をすませ、機嫌良く名古屋を出る。大垣辺りから、むむ、ちらちらと白いものが…次第に何と猛吹雪。まいさん、MIWOさんに続き三度目。うーむ誰が雪男(女)かなあ?


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 全国区


                 2005. 2.22(火)   


  ルネサンスのアカペラを中心に歌ってきたあふみでは、その他の時代の音楽や、伴奏付きという音楽にはあまり縁がなかった。しらかわホールでのMIWOさんの演奏会では、「音楽の幅」というものについて考えさせられた。たぶんMIWOさんでは、音楽の楽しみ方が成熟しているのだろう。
 

  最近「アカペラ」ばかり聴いていた耳には、オルガンと低弦が加わって格段に豊かになった響きや、即興的な表現、ボディパーカッションなどが目新しく感じられた。もちろん、よくハモった上での表現だからだというのは言うまでもないが。
 

  和太鼓をたたく者としては、女声の「さくら」の上に男声が「田舎なれどもサ〜」と歌い出したとき、ふと胸を突かれるような思いがした。


  あふみを結成したての頃、初めて全国レベルの他団の演奏会を聴きに行ったのが、スイトピアであったMIWOの演奏会だった。ああ世の中にはこんな合唱があるんだ、と思った覚えがある。その後たくさんの演奏会やコンクールを聴きに行くことをためらわなくなったのも、たぶん、わたしの中ではそこが最初の全国区だったからだ。


  「あふみ」と名付けたのは、滋賀に根ざしつつ全国区を目指すという意味だったはず。メンバーがどんなにかわっても、その名に込められた創団の思いは、つないでいきたい。


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 贅沢な時間


                 2005. 2.10(木)   


  安土のセミナリヨに2週続けて通う。残響が長く、こぢんまりした客席と落ち着いた雰囲気を持ついいホールである。当初はタカラヅカに応募するための録音を予定していたが、今年は見送ることになり、練習のみに。
 

  昼なのに「おはようございます。」なんて挨拶をしてホール入りすれば、気分はすっかり音楽家(^_^;)Ecco とQuamを中心に、Vita と日本語も一通り。女声のパートも試行錯誤。忌憚なく意見を言い合い、テナーも視野にパートを再編。曲作りにも向かっていけた。
 

  いいホールと、いい練習、お茶とお気に入りのお菓子。なんという贅沢な時間だろう。かくしてホームページのトップを飾る写真が出来上がったという具合。


  「ピンチはチャンス」…危機感が昇華して連帯感に化学変化したような気がするのはわたしだけではないと思う。 
 

 
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 狂言にりょうぜらるによって


                 2005. 2.7(月)

   
  


  この辺りに住まい致す者でござる。今日タびわこホールにて狂言の会催さるるによって参ろうと存ずる。まずは子等をば祖父祖母と連れ立ちて先に車にて発たせ、後にJRにて追い付かむと存ずる。


  まずは盛会に付完売御礼の札貼られたれば、中ホールは満席にて、なかなかめでたきことでござった。


  子ども「申し申し、常の演奏会ならば鼻を鳴らし睡魔に襲わるるが、今日ばかりは笑い止まらず、眠る暇はござらなんだ。太郎冠者次郎冠者二人して、すわと言いて飛び退き逃げる。


  戻りては真似事を致し家中忽ち能舞台ゝゝ珈琲に付きたる砂糖をば、ぶすにりょうせ゜らるるによって舐めてみたく候と申してついには家まで持ち帰るゝゝ


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 飛びゆく音


                 2005. 2.1(火)

   
  音を聴くと色が見える人がいるらしい。それってどんな世界かな…と思っていた。ハ調のドミソが白い和音だとわたしが感じるのは、ピアノを弾いたときの鍵盤の色だと思う。


  小雪の中、アンサンブルプラネタのコンサートでセミナリヨへ。女声五人でクラシックの編曲物を歌うグループ。CDは聴いていた。どんなアクロバティックな演奏なのかと思っていたが、ライブの方がずっといい。


  そこで不思議なものを見た。


  楽譜に書かれているのは、ただの音符のはず。だが、見事なハモリにのった音が、次第にエネルギーを溜める。ついに楽譜を飛び出していく。伸びる音、くるくる回る音、軽い音、或いは重厚な音、加速する音…スターウォーズなんかメじゃないよ、ワルキューレも真っ青、音が風になって、セミナリヨのあの空間をゴールデンスニッチのように飛び回ってる!


  おんがくを伝えるということは、これか。音符を歌うだけじゃだめなんだ。


  来週は、あの空間で練習する。よしっ、あふみの音を飛ばそう。


  おっと、OBってか…そりゃまずいよ(^_^;)

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 激震の後で


                 2005. 1.29(土)   


  創設メンバーのうち2人を欠いた活動を余儀なくされることがはっきりし、これで当初からのメンバーは3人になってしまった。ある程度覚悟していたものの、目前に突きつけられると辛い。


  今日、練習時間の大半を割いて、あふみの今後について話し合った。わたしたちは一人一人の思いをきちんと伝え合い、歩み寄りながら音楽をつくっていく…当たり前のことなのに、今まで何となく過ごしてきてしまっていた。ひとつひとつ話していくうちに、それぞれの思いがぽつりぽつりと出だす。この過程を抜きにして、いいアンサンブルなんかできっこなかったのに。


  今年は六角館のクリスマスコンサートを復活することになる。ささやかな演奏会だが、やっぱりこれが「あふみ」だから。考えてみたら、ポスター、チラシ、プログラム、会場設定、照明、進行…何もかも手作りのあの場に立つことが、わたしたちにとってどんなにわくわくすることだったろう。


  12月のカレンダーが足元のずっと先に見える。暖かい灯が胸にともる。あそこに向かおう。あふみの原点であり、新たな出発点でもある。



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 雪の二日間


                 2005. 1.28(金)   


  前夜急に降り出した雪は、乗用車を埋めるほどの深さになっていた。駐車場にはまだかなりの積雪。天究館に続く階段には、やっと一人が通れるほどの道が半ばまで空いていて、そこにスコップがぽつねんと立っている。


  開催が危ぶまれたが、予定通り歌えたのは、こうして見えないところで苦心してくださる方や、雪にもかかわらず聴きに来てくださったみなさんのおかげだと、心の底から思う。


  車を乗り換えて、来客用の駐車場から天究館に向かう。途中の坂でスリップし、のんきーちゃんと髪々の黄昏と三人で押す。ちょうどいい目覚ましになったかもね。


  歌っている途中は緊張と乾燥で唇が歯に粘り着き、ヤコブソン器官でにおいをかいでいる猫のような顔になってた気がして、ビデオを見るのが怖い。途中途中でぱちんぱちんと誰か彼かと目が合ったのは、心地よかった。


  ただ、もっと歌うための努力ができただろうと悔やまれる演奏会でもあった。「おんがく」を伝えるためには、気持ちだけではだめだ。気持ちを伝えるためのスキルが必要で、それは19回の宝塚の講評でも指摘されていた。


  簡単な打ち上げの後、実は我が家は奥伊吹に向かって走った。子等がスキー合宿に参加しており、合流するため。ばりばりに凍っている道をそろそろと行くが、目的地の宿が見あたらない。前年行ったから…と安心していたが、「アルカンデ」なる動く歩道ができていたせいで入り口がわからなかったのだ。迷いに迷って、車中は険悪な雰囲気に…せっかくいい気分でみんなと「また来週〜」なんて別れたのにぃ(^_^;)夜10時近くなってようやく到着。子等はマンガに夢中で、親の方には見向きもしない。


   翌日、髪々の黄昏はびわこポールへ、わたしは一日子等とスキー。充実しすぎた二日間だった。


  ふう。


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 気持ちよく歌おうよ


                 2005. 1.16(日)   


   「越前平野ってある?」と弟が尋ねる。「越前?越後平野なら新潟や。」と兄。「ふうん…それなら、もろ平野は?」「??」冗談かと思いきや、真剣な顔の弟。またやってくれました、とんちんかん。それは野菜の名前でしょ。



  天究館コンサートを目前に、最後の練習。もうここまできたら、音がはまったかよりも、聴いてくださる方にどんなメッセージを伝えたいか考えて練習しよう…そう確認して練習を始めた。気持ちよく歌える。フレーズの終わりや、言葉の伝え方、曲の表現を中心に練習。正確な音程とハーモニーにはこだわらなければならないが、こだわりすぎたらテンション下がって、みんな萎縮してしまう。気持ちよく歌いたい、というのんきーちゃんの言葉は、そのまま今年のあふみに当てはまりそう。


  Sing Joyfullyの出だしの発音、「進歩しやりましたねぇ〜(笑)」と夕焼け娘に褒められた(*^-^*)



  少人数のアンサンブルだからこそ、中のメンバーの和を大切にしなければ、いい音楽はできない。歌う以外の部分でも作り上げてきたものがあったのだ、と六角館の自主コンサートから離れて今更ながらそう思う。


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 まいさんin大垣


                 2005. 1. 9(日)   


  昼前。ふと外を見たらぼさぼさと雪が降っている。しまった!アルゴリザードと死闘を繰り広げている場合ではなかった!意を決してタイヤを換える。大垣まで約1時間ほど。まいさんの演奏会へ。


  ビクトリアの第一音から、豊かな響きがホールいっぱいに広がる。どのステージも素晴らしい演奏だったのだが、ことに2ステージから後、メッセージや物語性のある曲が続き、その表現力はやはり圧巻。一人一人がどう歌いたいかという思いを持ちながら全体として統一されているという演奏は、アンサンブルの理想の形。


  厚かましくもレセプションにまで参加。暖かく迎えていただき、鶏冠頭の息子どもまでひと言感想を述べるという貴重な体験まで。もともと、人数や演奏スタイルから、親近感のようなものを感じていたのだが、一層それが強くなった。


  新年早々、元気がもらえる演奏会だった。良い年になりそうな予感。今年のあふみ日記もよろしくお願いします。


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