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2003.12.29(月) かぶきものになったはずなのに、今日は朝からそうじをしてしまった。妹がやってきて、ゴミ袋3つ を見て、「あれ?かぶきものはそうじしないんじゃなかったの?」と笑って帰った。 さて、表題、何のことだか判る人は、非常に少ないと思う。上の息子が持っている教材CDに、日 本の国土や気候の特徴などを歌にしたものがあり、それの一節。暗記するだけなら苦痛のはず の日本の地形的な特徴が、軽快な音楽となっている。初めて聞いたときは、あまりにも冗談ぽい のに音楽が結構いけてるので大笑いした。火山の特徴を歌にしてある方は、BAKUFU-SLUMP的 なコード使いでヘビーに仕上がっている。これもおもしろい。いつかあふみで編曲してやりたい〜と 思った。ふーちゃん、編曲してくれないかなあ・・・。 たぶん、これが今年最終のあふみ日記になると思います。ご愛読下さったみなさま。どうか良い お年を。そして、来年もどうぞよろしくお願いします。楽しい日記になるよう、充実した音楽生活が 送れることを願い、一足早く除夜の鐘を鳴らします。新年は、天皇杯からお会いしましょう。では。 ご〜〜ん・・・・・・・。
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2003.12.28(日) 年末といふに、そうじなどもせず、子どもたちも置いて、両親と妹と4人、「阿国・わらう」の千秋楽 に出かけた。京は甲部歌舞練場。琵琶、箏、尺八、和太鼓、篠笛、それに舞踊という新しい趣向 の歌舞伎である。チケットの値段を聞いて目を剥いていた父が、見終わったときには、「見てみん と、わからんもんやな〜」と満足していた。 琵琶の音は初めて聞いたのだが、「語る」という音色の呼び方がぴったり。篠笛は、むせび泣 き。尺八は三本で見事なハーモニーを奏でる。圧巻は、和太鼓。終盤せり出しで登場したときは、も う、かっこよすぎてしびれた。 更に、縮緬や丹後の帯、紗などを巧みに使い、和の味を十分に出した衣裳は、まさに「かぶきも の」の世界。煌びやかな色だけでなく、登場したダンサーの、黒いパンツの膝裏に何があるのかと よく見たら紋付きの紋だったり。裾を長く引いて歩くたびにさあっと流れていく上着。少し工夫すれば、 町でも着られそう。 ああ、かぶきものになりたい、と思わせる世界が、そこにあった。「かぶく」ことによって生まれる エネルギーが、文化を生む。 今日は十分かぶいた。かぶきものには、年末のそうじという言葉は、似合わない。
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2003.12.28(日) 今年の歌い納めは、ホテルエクシブでの演奏会。びわ湖の畔にあるこのホテルには、「湖の教 会」というチャペルがある。お客さんが入っていない状態で、残響が2秒近くあるという場所。 その日は朝から雪がちらつき、湖を渡る風が髪を吹き乱す荒天だったが、お客さんは50余人、 それにホテルの関係者というこぢんまりした演奏会になった。でも、非常に気持ちよく歌えた。何と 言っても、教会の雰囲気を味わって歌えたこと。そして、暗譜で歌った団員が増えたことがアンサ ンブルの楽しさを引き出したと思う。「できることなら、ここで毎月でも歌いたい〜」というくらい、ま さにア・カペラ。 は?何かやらかしてないかって?ははは(^_^;) 実は家を出発直前まで、テレビで天皇杯準決勝を応援していた。何と延長戦に突入したセレッソ 対アントラーズ。鹿島の猛攻を押さえ、ヨシトのVゴ〜〜〜ル!!!やったーっ国立だぜぃ!! 子どもらと一緒に絶叫して車に飛び乗って、思い出した。 化粧するの、忘れた!! 今年は、終わっちゃったねえ〜もう歌い納めなんて、ちょっと残念。だけど、来年もみんなでいい アンサンブルにしていこうね。わたしも、次の目標に向かって行こうと思う。
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2003.12.25(木) 今夜は、「スーパー太鼓隊」(仮称)の練習日である。 私が住んでいる町で、先日、和太鼓を購入したと聞き、早速試し打ちに参加。その場で即刻結成 された和太鼓サークルである。木曜日をベースに、練習をしている。 ずっと前から和太鼓に触れたいと願っていたが、このところ、学校音楽で和楽器の響きが取り上 げられることになり、導入されるところが多くなった。遠い存在の楽器でなくなってきている。実際に 叩いてみると、予想よりはるかに体力勝負。ばちは血に染まり、翌日には筋肉痛、ということはさ すがになくなったが、(注:手抜きを覚えた…)確実に汗はかく。 クリスマスの夜に、和太鼓っていうのも、ミスマッチでまたよいかも。さあて、腕まくりして… あっさぶ〜っ。
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朝から晴天に恵まれた23日。せっかくの休日、ベルホールにお越し下さったたくさんのみなさ ん。本当にありがとうございました。たくさんの皆さんに支えられているという実感で、本当にあり がたく、うれしかったです。 途中、音やリズムの危ういところはありましたし、メンバー全員がそろって練習することが難しく、 どうなることかと心配したこともありましたし、息が上がってしまって普段しないようなところで思わ ずブレスをしてしまい思いきりフレーズをぶち切ったりしましたが、これが今の実力だと思っていま す。決して満足しているわけではありません。今後も、皆様からの励ましの言葉やアドバイスを生か しながら、よりよいハーモニーを目指していきたいと思っています。 「あふみ」で歌うこと、これは私にとっては、ライフワークとも言えるようなことです。何よりも、今、 歌えることが喜びです。何があったとしても、湖北の地に、この仲間と歌える喜びをいつまでも大切 にしたいと思います。 まじめな話はこれくらいにして、さてさて、今回の私の失敗談は??今回は、前日に衣裳も靴も 楽譜もカンペキに準備して、忘れ物はありませんでした。チケットやストッキングを見失うという大ポ カもしませんでした。 なになに、フレーズをぶち切ったのは大ポカだと…仰るとおりです。 ずっと我慢していた酒も、(そんなに飲んべえではないけど飲みたい時ってありますよねえ)昨日 は飲みました。杏酎ハイは、五臓六腑に染み渡り、1杯でほろ酔い気分に。見ると、我が子ども、 居酒屋のカウンターに座って、妙に落ち着き、常連さんらしい人と自然な会話を楽しんでいるでは ありませぬか。そのうちに厨房やカウンター内に入り込み、女将さんに「注文取ってね。」と言われ ていました。他にお客さんがなかったからいいものの、この人懐こさは我が子ながらすごいと思い ますねえ…誰に似たのでしょうか。女将さん、おせわになりました。 明々後日はホテル・エクシブの教会で歌います。残響2秒、力まずに今年最後の演奏を楽しみた いと思います。
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午後から荒れ模様になり、天気予報通り雷と突風、そして雪。とうとうこの季節がやってきた。湖 北地方の冬は暗く重い雲が立ちこめて、まなこまで哀愁を帯びるような心持ちになる。明朝、起き たらきっと雪景色になっているのだろう。 お祭り大好き人間の私が、職場の忘年会の二次会に出ないで、明日のゲネに備えていると言 ったら、意気込みが理解してもらえるだろうか。ベルホールとの打ち合わせも行ったし(代理だ(^^;)) チケットのさばき具合もまあまあだし、あとはちゃんと歌えるかということのみ。実はそれが一番大 切なんだが。 先日来、髪々の黄昏氏、3ステージの進行原稿に苦しんでいる。たぶん私と同年代の人なら、 「宇宙戦艦ヤマト」も「銀河鉄道999」も自明のものである。つまり、「ヤマトでは誰が好きだった?」 とか「銀鉄、いいよね〜。」とか言っただけで、もう、あのときを共有できるのだろうが、少し世代が ずれていると、そういった感覚にもずれが生じるようだ。 それにしても、今回の「アニメ・レジェンド」で歌う曲は、どれも編曲が抜群に良い。特に、「銀鉄」 は、メロディの郷愁に児童合唱のピュアさを織り交ぜ、ふーちゃん編曲の傑作の一つだと思う。演 奏会においでになる方は、ぜひその辺りも聴いていただければ、とおもっている。
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ようやく仕事のめどがついて、(ついてないかも…)PCに向かう気になった。8日、ESTさんの演 奏会に行った。練習を終えてからだったので、1ステージが途中になってしまった。申し訳なかった。 高く、降り注ぐようなハーモニー。祈りの込められた演奏。あの高みにゆくために、どれだけのも のを積み上げてこられたのだろう。もう言葉なし。泣きながら聴いた。 私は、何をしてきたろう。何を歌い、何を努力してきたろう。自問自答するのみ。この自省の思い は、あの演奏が生んでくれたものだ。 楽しいって、なんだろう? 演奏会からの帰り道、私は、大きな選択をした。いい演奏に向かって努力できない自分があるな ら、そこにいても意味はない。あふみより長く続けてきたそこを、退団する。
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風が金色に光る季節が来た。一年中で一番、いい匂いの季節である。 昨年も一昨年も、金木犀が咲いたと思ったらすぐに雨が降って、あっという間に小さな橙の花は散ってしまった。今年は、晴天が続いていて、ずっとさいていてくれるのは、とてもうれしい。 このごろ、楽しいってなんだろう?と考えている。 仲間と一緒に歌うことも、楽しいに決まっている。問題は、その後だ。仲間と一緒に歌ってさえいれば、楽しいと言えるか、ということだ。 私は、やるからには、上達したい。もっとうまくなりたいと思う。そのためにはできる努力も金も惜しみたくない。 また、合唱は集まらなければできない。どんなにがんばっても、1人じゃできない。例えば、あふみでの昨年の幸運と今年の状況を考えると、「チャンス」というものは、そうそう多くあるのではない。今、出会って歌えることは、幸運なんだと思う。だから、「チャンス」だと感じたから、逃がすべきでない。 集まらなければできないものを選んだ以上、それなりのマナーもあるんじゃないかなと思う。時間通りに練習が始められるように集まるとか、遅刻するにも、欠席するにも、同じ仲間として、ひと言ある方が、気持ちが良い。 でも、世の中には、いろいろな考えの人がいるわけで。 楽しいって、何だろう?一緒に歌うって、何だろう?
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嗚呼上平寺城蹟〜流血の山中行(長文也) 上平寺城蹟は伊吹町にある。京極氏の山城蹟で、史跡群の保存状態が大変よいことから、重要な文化遺産である。と、現地研修会で、伊吹山文化資料館のT氏に教わった。勤務地域を理解する絶好の機会である。 昼はおにぎり程度を準備しておいてくださいとだけ聞いていたため、おにぎりとお茶のペットボトルを手提げ袋に入れ、軽装で、文化資料館に集合。みんなピクニック気分。 Tさんおもむろにズボンの裾を靴下に入れる。取り出したのは、地下足袋。ここで事態をもっと真剣に考えるべきだった。同じく資料館のMさんが、 「今日みたいな蒸し暑い日は蛭が出ますよ!足首に石けんを塗っていくといいですよ。私もぱっと払いのけたら一年くらい傷が治らなくて、ひどい目に遭いました。」 その言葉に一同石けんを塗り、虫除けをみんなでかけ合う。 上野からは軽トラの荷台に積み込まれて、林道を進む。もちろん、舗装などしてないので、それはもう、ジェットコースター気分。両側から木の枝や蔓が荷台の我々を叩いていく。きゃあきゃあ騒ぐ荷物を載せて軽トラはゆく。 林道の終点で軽トラを乗り捨て、まずは「弥高百房」へ。たくさんの「房」があり、山岳信仰とあいまって栄えた寺の蹟である。これが思っていたより急な山道な上に、前日までの雨のせいで下草が靴を濡らす。所々でTさんから説明を受ける。 弥高百房蹟は、ガスがかかっていたが、景色がよく、一同、気分をよくする。カタツムリが多い。石灰質の伊吹山系のせいだという。少し休憩後、いよいよ上平寺城へ出発。 ところが、これが弥高百房はめじゃないくらいすごい道。いや、道が無い。笹と下草と、蔓と枝に覆われ、わき水が吹き出し流れ出、幅僅か30センチのちょっとした崖をおそるおそる渡り、朽木を乗り越える。 異変はそのあたりから始まった。 一人の靴に小さな赤黒い紐のようなものがついている。山蛭である。小枝でようやく取り去る。歩き出してふと見ると、前にいる人のズボンの裾に、くねくねとしたものが。慌てて踏みつけて事なきを得る。 少しするとあっちでもこっちでも、騒ぎが起こる。靴ひもの穴から、蛭が侵入しているのだ。「エイリアン」の如く、「プレデター」のごとく、靴下の縫い目をかいくぐり、或いは跳ね上がった枝の先からぽとりと腕にとりつき、或いは、立ち揺らぐ陽炎のようにうねうねと地面から獲物を求めて伸び上がってくる。 Tさんは上平寺城の説明を詳しくしてくださる。このあたりは敵がまっすぐ登ってこられないように曲げられているとか、谷を深く削って一本道を造り、ねらい打ちするとか、その割に、姉川の戦いで城を守っていた武将はあっさり開城したとか。でも、一同、上の空なんである。道なき道をゆく疲れと、蛭の襲撃にさらされ、へとへとに。 二の丸蹟から少し下りるとめちゃめちゃに壊された看板や、地面の大きな穴が目に入る。その上、がさがさと茂みが揺れる。 「熊だな。何かしゃべりながら行きましょう。」 というTさん。ずっと話し続ける元気もない一同、前から順番にしりとりをして歩く。想像してみてほしい。老若男女しりとりしながら山道をへろへろと下っていく姿を。 ようやく京極氏の庭園蹟に下り立ったとき、一同早速靴を脱いで点検をする。全員の靴から蛭を発見。蛭による流血数名。2カ所以上吸血された人も。 かくして職場に戻った我々は、たぶん一生語り継ぐことができる研修だったと熱心に話し合った。何と印象深い研修だったことか! 3時間後、上司が小さな紙切れの上に何やらのせて部屋から出てきた。 「これ、さっきのやつと違う種類かな?」 それは、彼の血をたっぷり吸って、まるまる太った蛭だった。
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出勤して、職場で一日中笑い転げていた。おなかの皮が捩れ、涙が出た。え?なんちゅう職場やって?来るべき嵐の日々に備え、皆が笑いで武装をしているのである。 7〜8月の主な出来事 まとめ ☆.待望のトップテナー入団!年を聞いたら、私と同じ干支だった。これで巳年はあふみのメンバーの半数を占める大勢力になり、2位の辰年3人を大きく引き離した。それにしても、長いやつばかり。 ☆.バーバラちゃん、福光セミナーで奨励賞受賞!本当におめでとう!!土産話おもしろかった。レベルアップした師匠に負けないよう、私もがんばろう。 ☆.研修で、上平寺城蹟に行った。道無き道を行き、蛭に襲われる。この道中記は非常におもしろいので、後日報告。 ☆.太極拳の他に、ダンベル、ベンチ、ジャズファンクのレッスンも初体験。エアロ以外にトレーニングの幅が広がった。シ゜ャズファンクのことも、また後日。 さて、coolと言っても季節のことじゃない。今年の運動会のダンスのこと。音楽が、とにかくかっこいい。最新版のと、10年くらい昔の運動会用CDから選んだ。「MATSURI」と「FINAL LAP」という曲。前者は和太鼓を使った曲で、後者はF1レースのピットをイメージした曲。 だいたい、中学年という学年(小学3・4年)は、かわいさをウリにするにはちょっと薹が立っている。昨日は担当4人、動きの確認。和と洋、最新と旧版の共演で、coolにキメようと、細かなところまで確認作業をした。もうばっちり!!うーん、cool!! と、思ったら、今日は筋肉痛でした。
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関西は暑くなった。夏である。アブラゼミが鳴く。 今年は職場にクーラーが設置されたので、去年のような 我慢比べ大会はなくなった。ありがたや。 関東は本当に寒い。涼しいのを通り越している。どうなっ てるんだろう。 ただいま元気のもとは、タイガースのM22。応援歌集 CDも手に入れて、毎日車の中で子どもらと高らかに六甲 颪を歌う。選手別応援歌もカンペキ。ヒッティングマーチだ けに威勢がよくて、仕事がつまっていた7月を何とか乗り 切る原動力になった。本体が、ロードに出てから元気がな いのが気になるところではある。 まだ甲子園に行ったことがない私(T_T)せめてテレビの前でも応援を、と、こんなに野球中継 を楽しみに見た年もないかも。おかげで仕事ははかどらない。
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夏??おかしな天気。いっこうに暑くならない。シュガーも丸まって寝ている。椅子をとられた。子 等の図工の宿題に一日かかった。暑かったら集中できなかったが。近所で工事をしているため家 が揺れて不愉快。 宝塚のコンクールも、全く暑くなかった。今年はようやく本選をほぼ全団体聴くことができた。瀟 洒な演奏と言うよりは、個性的な演奏が評価が高かったのかも。個人的には、シェンヌさんの評価 がもっと高くてもいいと思う。揺るぎないハーモニーと整った音色は、十分練り上げられたことが感 じられた。まいさんの「鳥の歌」はとても上品。メリハリがきいて曲をどう料理したいかはっきりわか る。オルバンを歌った団が3つあったので、聞き比べのような形になってしまい残念。海外からの 団はさすがレベルが高い。 いい演奏を聴くと、はやくあふみでも歌いたくなる。いい発声の演奏を聴くと、喉の奥がくーんと開 いてくるのがわかる。コンクールとは言え、宝塚は特別に上等のコンサートのつもりで聴いている。 今年の夏は宝塚も滋賀のアンコンもない。前にあるのは、5周年記念演奏会。
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いいお天気!ようやく仕事が一段落。何でこんなに遅いのかというと、今年の冬はインフルエ ンザや胃腸風邪が大流行したのと(仕事の対象がいな かったので商売あがったりだった)、周囲の人々の仕 事ペースが速すぎるのと(相対性理論)、仕事ができて ないのに家族サービスしていたため(遊び歩いていたと もいふ)である。2日はみそつき。9日は県立アイスアリ ーナでスケート。 3月15日、バーバラちゃん、髪々の黄昏、子等と一緒にびわこホールへ。谷川俊太郎の詩でつ づる動物たちの謝肉祭が目当て。中ホールほぼ満席。 現れた詩人が口を開くと、穏やかだがきちんとした日本語が流れ出した。決して声を張り上げて いるわけではないし、たいそうな抑揚がついているわけでもない。むしろ訥々。しかし、これ以上な いくらいそぎ落とされたことばから、情景が匂い立つ。詩というものは、日本語というものはこんな に美しいものだったか。 ちょうど我が家のテレビが壊れ、電源が入らない状態が続いていて、ラジオを聞く機会が増え た。テレビがないと静かである。朝な夕なに、絶叫しているか、弾丸のようなため口かしか流れてこ ないテレビニュース。あのキャスターたちは、「親しみやすさ」をはき違えている。自分たちが日本 語を破壊していることに気づかないのかしらん。 「ほうすけのひよこ」の絵本にサインを貰った。 歌は言葉を音楽に乗せるのだ、と私は解釈したい。その言葉をどれだけ大切に歌えるか挑戦す る。 宝塚コンクールの出場団体が決まった。来年度はコンクール自体が行われず、隔年開催とか。 ベガのあのステージにもう一度、必ず立つ。 そのためにまず、風邪治そっと(T_T)
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若い頃は(今も若いが!)歌うための体をつくるなんて、考えたこともなかった。響きを高くひろ げるために筋力をつけようとか、呼吸をどうしようとか、何にも考えてなかったと言っていいくらい 無頓着だった。しかし、今はそうではない。レベルの高い演奏に触れる機会が増えるにつれ、歌う 体を作ることの大切さを感じるようになり、何かせずにはいられなくなってきた。は?加齢のせいと な?そうとも言ふ。 そのために、できること・・・と考えた。練習の時だけでは足りない筋トレを補うために、数年前か ら中断していたエアロビクスの教室通いを復活した。それに太極拳。ただいま簡化24式という太 極拳を学習中。ゆるゆるとした動きなのに、練習後は確実に腹筋と大腿筋が張っている。こりゃあ いいかもいいかも。おなかの動きが歌うときのにそっくりだし。 いくつになっても歌い続けるためには、自分の体を上等 の楽器に作り上げるしかないんですよ。 そこの自分が若いと思ってるアナタ、すぐにやってきますよ、 そう思い知る年齢は。 2月3日 給食の福豆に顔がありました!!
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ばあちゃん。 呼んでももう答えは返ってきません。 あなたは、もろくて白い、骨になりました。 ときに母の代わりとなり私たちをかわいがってくれた、ばあちゃん。炊きたてご飯を、掌を真っ赤 にして「あっつい、あっつい。」と歌うように言いながら高く放り投げておにぎりを作ってくれました。 私たちきょうだいは、奪い合うようにしてそのおにぎりを食べました。 早くにつれあいを亡くし、女手一つで母たちを育て上げたばあちゃん。背が高くて、男前で、尺八 が上手だったと、私たち孫が会うことのなかったじいちゃんを自慢していました。そして、きれいに 化粧をしてもらってじいちゃんの所へ行きました。「天国であれ、地獄であれ、一緒の所に参りま す。」と残された手紙にはありました。じいちゃんは、確かに、ばあちゃんの心の支えであったの ですね。 その日の朝、私はなぜか、「今日はばあちゃんの所に寄ってこよう。」と思いました。そして、それ は本当になりました。夕方、病院から帰ってきたばあちゃんは、眠っているようでした。息子は、ば あちゃんの顔を見て、大泣きしました。 葬儀から帰ったら、旅立つ前に我が家にも寄ってくれたのだとわかりました。ばあちゃんの小さ い体が、ちょこんとこたつに座っているような気がしてならず、振り返って何度も見ました。 ばあちゃん。 尺八が好きだったじいちゃんと、入院するまで日記を書き続けていたばあちゃんの血は、私の中 にちゃんと流れているみたいです。
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何という新年だろう!年末からじんましんで手足がかゆくてたまらず、内服薬を飲んだら体がむく んだ上に、眠り続けてしまった。ホントの寝 正月(T_T) 2002年は、激動の年だった。宝塚で思 いがけない成績だったかと思えば、メンバー 3人の退団という大事件。これからのあふみ はどうなっていくんだろう・・・大事なことはどう したいかイメージをきちっと持つこと。 今年の鍵は、「そろう」・・・練習にメンバーが「そろう」・・・発声が「そろう」・・・歌い回しが「そろう」 ・・・横並びという意味では、決して、ない。あふみに横並びという発想は似合わない。全員が「出る 杭」になって、ぶつかり合って「そろう」。 クリスマスコンサートのようなぶざまな演奏は二度としたくない。 あふみ日記今年もよろしくお引き立てのほどを。
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